2026/05/03 08:16
こんにちは、こんばんは。ゆうです。
今日も絵を描き、たまに本を作って、毎日平尾台で喫茶店と宿をやって、旅をしています。
それで、以前から、日々の奥にあるものを書きたいと思っていました。
つくることを続ける上で、自分のことばを記した方がいいとも思いました。
たぶん長い話になりますが、よかったら読んでください。

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私は「山になりたい」人です。
急にズドーンとくる言葉です。山になる。
考え、というよりはキャッチコピーみたいです。わざとつけました。読んでもらえるように!
でも、これは最近、自分の中にある本当のことです。
山になりたいというと、全てがしっくりとくるんです。私がやっていること全て、山になりたいからやっている、というと腑に落ちる。まるで売れないロックバンドのボーカルみたいです。ロックバンドで思い出しましたが、ブルーハーツのヒロトはバンドマンで音楽をすることが夢で、ずっと叶い続けてるから俺は幸せだと言ってました。たぶん、私もヒロトと同じです。叶い続けている夢が「山になりたい」です。
だって、私の職場がある平尾台は山の上なんです。山にいることが仕事です。喫茶店と宿をやっていて、毎日います。建物は山から生まれた木によってできています。窓からは山が見えます。小鳥の鳴き声が聞こえて、風が毎日部屋を通り抜けていく。お客さんがぷらりと山に登った後、やってきます。珈琲一杯で山の話を永遠にして、1日が終わっていく。仕事が終わったら、散歩に出かけて山の絵を描きます。もしくは、山を歩いたり走ったりします。山の花も見にいくし、動物とも戯れる。
もうわかっていると思いますが、物理的に山になるわけではありません。
私は桜島みたいに噴火しません。
そうではなくて、山の一部として生きたいんです。
熊や雷鳥、セリバオウレンやカノコソウ、石灰岩やランプロファイヤー、ハイカーやランナー、旅人や地域の人、地理、山文化、大きな木、野焼きをした後の黒い大地、風がどこからか吹いて葉が重なり音が聞こえる、雨水を木々が受け止め土に返しやがて川に流れ、海へと運ぶ。これが山です。これがあることを忘れずにいきたいんです。なんていうかな、あるのに、ないときがあるんです。難しいですが、あるのにないはなしは、私の文章を読んでいくと、きっとわかると思います。
もう少し、山になりたい、を具体にしていきます。
自分が出す排泄物を循環しようと最近考えています。わかりやすいのは、うんこです。唐突ですね。面白いのでもう一回言っておきます。私のうんこを循環できるようにしたいです。先日、糞土師の井沢さんという方にお会いました。彼は毎日山で野糞をしているらしいです。まだ、その山には行ったことないですが、すごい山ですよね。井沢さんは言ってました、うんこで山をつくると食べ物や暮らし方、生き方も変わるよって、僕が死んだ後に山の自然があり続けて欲しいからね、って。まじでかっこいいです。全身アウトドアメーカーのブランド品でピカピカに着飾るよりもかっこいいです。本物です。
井沢さんの話を聞いて、今の生き方ではまずいなと思いました。もっといい暮らしがあると思ったんです。楽しくなかったんです。心がどこにあるかわからない生活でした。そういう人、今の日本にはたくさんいると思います。井沢さんは毎日楽しそうでした。それから、ずっと笑顔で本当の言葉で話している人でした。私もそうなりたいなぁと思ったんです。
今までの私は、食べ物かうんこでした。えっと、消費されるか生み出されたものか、って意味です。つくる人ではなかったんです。もしくは、それを消費するだけの人間で、フィルターの存在をしらなかったんです。井沢さんのような人にあってから、私もフィルターになりたいと思いました。
濾過して、いいものを届けたい。たとえば、いいうんこはすぐに土に帰るんです。井沢さんは実験したそうです。よくないうんこは、土に帰りにくいし、動物たちはよりつかないんだって。面白いですよね。それに、いいうんこをすると、健康になる。毎日うんこを気にしていたら、戦争も無くなりそうじゃないですか?
山の一部として生きるというのは、簡単にいうと、そういうことです。
1人で生きていたら、うんこなんて気にしません。だれも私のうんこなんてみません、いや、いまもそうか。うーん、そうじゃなくてね、私が吐き出したものをうんことしましょう。おしりからでてきたものだけではなく、生み出したものです。私をフィルターにして生まれたものです。絵や料理や本がそうですよね。あれもうんこです。うんこって人間からすると汚いですが、ハエからすると超高級品らしいです。食べたら元気になるんです。料理もそうじゃないですか?あれもお母さんをフィルターに生み出されるものです。お母さんの料理を食べると子どもは元気になります。でも、お母さんは毎日朝昼晩料理をするので、自分が作ったものに元気はもらいません。というか、そんなに作り出したものに興味がないです。たぶん、お母さんだけではなく、作る人みんなそうです。私の絵も、つくっている最中は気持ちがいいですが、終わったものには執着がありません。だから、人に渡すことができます。友人の陶芸家もいってました。つくるのはたのしいけど、つくったものにはそんなに興味がないって。でも、彼の陶器で毎日白ごはんをたべると、日常が豊かになるなぁと思います。これがきっと循環なのだと思います。お母さんの料理なんかまさに、循環そのものです。お母さんを通して、子どもたちの血肉となり教育にもなります。
自分が生み出したものが、循環して巡るようにしたいです。山というのは循環そのものです。体系があり、鹿も木も落ち葉もみみずも菌も雨も共生している。私はそれになりたいと思いました。正確にはその一部になりたい。
ということは。反面、私は循環のサイクルに入れていないのです。
入っていると思いますが、まだまだ薄っぺらい濾過システムだなぁと思います。
つづく
