2026/04/20 16:40

第3回目の個展が無事に終わりました。来場してくれた皆さんありがとうございました。また、絵や山たち、歩く人たちもありがとう。


私の絵は私自身が書いています。物質的には1人で書いていますが、山にまつわる人や植物や動物、もしくは山自体があるから、描けています。その感謝の気持ちを忘れないように、ありがとう、です^^


3回も個展を開くことができたのは、一年前の私からすると驚くべきことです。「絵なんて、言葉なんて」というのがありましたから。どの世界にも、〇〇なんて、という悲観的な構文があります。夢をみて描こうとすると、否定されることの多い世の中ですが、夢は本当にあることを信じてあげるのは私しかいません。私が私の夢を否定したら、たぶん私ではなくなります。夢というとわかりにくいかも、憧れ、なりたい自分、かっこいいかわいい、も夢です。かっこいい人に焦がれるでしょう、でも私なんて、というでしょう。よくないです。かっこいいも可愛いも人が作っているものです。だから作れます。だから夢も現実にできます、信じれば。(これは自分に言い聞かしているところもあります。)


最近は山の作家さんの本ばかりを読んでいます。先輩たちはどうやって山と生きてきたか知りたかったからです。山の絵を描き始めたきっかけは吉田博さんです。モンベルのTシャツにも印刷されている画家さんで、木版で有名な方です。彼のエルキャピタンの絵をみた時に、私はまるで山に行ったときのような感動を覚えました。街で山を感じることができたんです。私はこれだ!と思いました。こんなふうな絵を書きたい、と。


大谷一良さんの言葉でこんなものがありました。

「では、山を描くとはどういうことになるのか。こういうことは、自分で悩むモノで、説明することではないが、蛙地梅太郎さんは、山にいる人の心を表現したいといわれたことがあった。山にいる人とは、生活している人、登っている人と幅広いが、山の気を吸っている人というふうに、私は理解した。山の気を感じるのは、一つの動物的感覚でもある。外から見れrば、山の中に自ずから在るといった気配を感じさせる。蛙地さんの非写実的な、けれども身近な山男の姿である。

私はといえば、山から授かったものを私なりの形で表すことが出来ればと思ってきた。そして、僅かでも、それを見る人の共感と、その人の持つ山を喚起することができるならばーーー」

大谷さんは山のアルプという山雑誌の表紙を飾る絵を描いていた方です。Coyoteで特集もされています。

私は絵を描いている時に山になりたいと思っていました。山の一部になりたい。でも、説明がうまくできませんでした。大谷さんの言葉を読んで、これだ!となりました。「山から授かったものを私なりの形で表すことが出来れば」山に行った時に得もいわれぬ感覚になります。わたしも大谷さんと同様、その感動のようなものを重ねて、山の虜になっています。たぶん死ぬまで山です。街でも海でもなく、山なのです。その山にる人の心を表現したい。街でも山の感覚を思い出せるのは、すごいことです。絵を見ただけで、山の感覚になれるんです。また、山にいるときの感覚で街で生活ができるとどうなるでしょう?やばくないですか?言葉が安いですが、まじやばです。だって、街のいろんなものが自分と重ねることができるわけです。歩くたびに気持ちがいいに近づきます。ゴミもポイ捨てしないでしょう。仕事も山にいるときの感覚でできるわけです。


かなり、夢をみていますが、でも、私が描きたいのはそいういうものです。ただのイラストではありませんし、お金稼ぎのものではありません。仕事でもなく私とあなたが生きていくためにやること。



個展が19日に終わって、20日は平尾台のトレイルランニングレースに出場してきました。そこでも同じようなことを思いました。みんないい人たちなんです、山にいる人って。走っている人も、ボランティアの人も。みんな山のように素敵なんです。たぶん、山からいろんな恩恵を受けてきたから、人に優しくできるんだと思います。そんな人たちで世界が溢れたらいいなあと思うので、山のあの感覚を絵で描いていきたいです。